片づける

最近、母の部屋の片づけを手伝っています。

昨年入院して以来、すっかり力がなくなり、今まで自分でできていたことがままならなくなっています。

今まで届いていたものが手を伸ばすと体のバランスが取れずに倒れてしまったり、かがんで開けていた引き出しが開けられなかったり…使いやすいようにレイアウトを変えようにもどうしていいか分からずに私に助けを求めてきました。


まず驚いたのは、物の多さ!同じような物があったり、もう着れないような昔の服が大切に仕舞われていたり…。まずは捨てるのに丸2日。「もったいないから…」と渋る母を説得してひたすら捨てました(笑)

毛玉のついたセーター、ヨレヨレのシャツ、重たいカバン…気に入っていても使わないよね?と。


母が何となく自分を否定されているような、責められているような、嫌な気分を抱えているのがわかりました。

「何でこんなもの取っておくのよ」と言いたいのを飲み込んで、「こんなにいいのがあるんだからこれを大切にすれば他はいらないんじゃない?」とか言い換えが大変でした。


よくテレビで整理整頓のアドバイザーがゴミ屋敷のような部屋を驚くほどにきれいにして部屋の主が涙を流す…なんて場面を見たことがあります。

部屋の掃除で泣くなんて…と思っていましたが、母を見ていて片づけるということは覚悟がいることなのだとわかりました。

長年かけて積み上げたものを片づけるには、「今まで何やってたんだろう…」「なんでこんなことになっちゃったんだろう」という後悔がつきまといます。片づけなければいけないのがわかっていながら、動けなかった自分を責める気持ちもあるでしょう。

大袈裟かもしれませんが、片づけはこれまでの自分と向き合い、これからの自分をどうしていくかを考え、歩み出すためのきっかけなのかもしれません。


母は今も1人でできる範囲で物の整理を続けています。当たり前ですが、片づけはこれからの生活を快適に過ごすためのものです。今流行りの"終活"もまた自分の残りの人生はもちろん、家族やまわりの人のためでもあります。病気になり、気持ちが後ろ向きになっていた母も少しずつ前を向き始めている気がします。


そんな片づけを通して、私もまた自分の中の色々なムダを見直すきっかけになりました。溜め込んでいるもの、詰め込んでいるもの、食べすぎ、悩みすぎ、抱え込みすぎ…物だけでなく色々なものを少しずつ片づけたいと思っています。