親ができること

私には中学生と幼稚園の子供がいます。

長男と次男は8歳離れていています。

長男は何もかもが初めてで戸惑いの連続でした。次男はちょっと(かなり⁇)肩の力を抜いて見守れているように思います。


長男は中学受験をし、現在中高一貫校に通っています。受験をするにあたり、こんなことを子供にいいました。

「親はお金はだす、環境も整える、情報は集める。あとはあなたがやるだけ。やらないのは自由。損をするのは自分」

少し厳しく、突き放したようにも聞こえると思います。けれど、受験すると決めたのは子供自身で、実際受験するのは子供です。

親ができるのは結局これだけなんだとこちらも覚悟を決めたわけです。

「これをやりなさい、あれをやめなさい」と口を出すのは簡単ですが、納得した上でやる、やめるを子供が決めなければ結局は身につかないし、結果を自分事として受け止められないと思いました。


親は子供が自立できるように、見守ることが仕事。だから「親」という漢字が「おや」なのだと聞いたことがあります。

手を差し伸べ、口を出すことが過ぎると子供の自立を妨げてしまうと。


中学生の我が子を見ていると、あぁこうやって少しずつ離れていくんだな、と寂しくなります。同じ親から生まれても性格のまるで違う2人を見ているとそれぞれ一己の人間なのだと感じます。


親=子供ではなく、あくまでも1人の人間として、親とは違う個性や感性や可能性を無限に秘めている子供と共に成長していきたいと考えています。


ぞうさんの歌で有名なまどみちおさんの「ぼくがここに」という詩があります。

ぼくが ここに いるとき
ぼくがここにいるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ

マメが いるならば
その一つぶの マメだけ
しか ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも

その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として


中学生の頃、母に「あなたはあなたなんだから」とよく言われました。
同級生と比べて〜でも、親と比べて〜ではなく、あなたはあなた。
私も子供にそう言ってあげられる親でありたいと思います。

そしてもう一つ、親としての私のこだわりが。
それは日本の四季、四季の味覚を子供に覚えて欲しいということ。
春は桜、藤、初夏はあじさい、秋は紅葉、節句や季節の行事は日本人としてきちんと伝えていきたいのです。と同時に四季の味覚を味わえる大人になってほしいと思います。
先日も夫がふきのとうが食べたいと、春の山菜を買い、天ぷらにしました。中学生の長男は苦いから嫌だと言いましたが、「1つでいいから食べなさい。これが日本の春の味なんだから」と夫が言い、長男も渋々食べていました。
海外に言って日本の料理を聞かれて「SUSHI」しか言えないのは恥ずかしいと。私達も子供の頃は何が美味しいのかわからなかったものが今は無性に食べたくなる…ってことがありますよね?
それはまさに親からのギフトだと思います。私も子供達に日本の美しさ、美味しさを伝えていきます。

親が子に教えるのではなく、一緒に経験することで共に成長する…そんな親子関係を気づけたら…と思っています。